• 2016/1/19

【第3回】途上国支援の仕事人に聞く。企業支援と途上国支援、似ているところと違うところ

3年前、今野は、ザンビアのODAの技術協力プロジェクトに参画していたときにアドバイザーとして派遣された大野さんと出会いました。大野さんは、農業開発を中心としたODAの仕事に従事したのち、自身で途上国開発専門のコンサルティング会社 JINを設立。JICAからも厚い信頼を受ける、百戦錬磨のODAコンサルタントです。

途上国支援という公益を目指した支援活動と、営利企業向けのコンサルティング、関わる姿勢として似ている部分もありながら、大きな違いもある。途上国支援とビジネスについて、お二人に話していただきました。

第3回は、ODAプロジェクトの特徴、それでもチャレンジするという話
今野
今野

企業向けコンサルと途上国支援の違いは、やっぱりクライアントの部分ですかね。コンサル業界はクライアントとしていろんな会社がいるけど、途上国支援の業界は、クライアント(支援先政府)の選べなさってところがすごく難しい。

企業向けだと、あるプロジェクトをやりましょうという話になった時に、いろいろな事情で動きが遅くなる場合は、その事情を含めてご相談させていただくことは、仕事上よくあります。でも、表現は悪いかもしれませんが、ODA業界の場合、カウンターパートを変えるというのは、行政が相手である以上、かなり難しい。行政上変えられないカウンターパートがいて、待つにも待てず、やるにもやれず、頑張っても報われず、という袋小路に入っているケースは非常に難しいです。

大野
大野さん

わたしも若い頃いつも激怒していました。「向こうはこっちを選べるのに、こっちは向こうを選べないんですか、やる気のある人とやらないと勿体ないじゃないですか」とよく言っていました。でもなかなか選べないですよね。でも向こうは選ぶのです。「専門家を変えてくれ」って言いますから。確かにそこのハードルはありますね。

ただ、私自身はね、まあある意味、心に決めたことがあって、お客様の途上国の人がどれだけ悪くても、全力を尽くしてやろうと決めています。ザンビアに比べたら南スーダンなんてもう荒くれ者で、大変な話でした。でも最後までやり切った。だって、自分の人生をかけてやろうと思った仕事である以上、その不確定要因は一生ついてくるのは分かっている。その不確定要因を飲み込んだ上でやろうとしているのがODAの仕事。

信頼できる仲間と苦楽をともにして、言う事聞いてくれないお客さんに対してずーっと説得したり、話を聞いたりするのはできる。私はできる。それが仕事だからね。だけど、一緒に仕事をしていく仲間、その仲間が最悪のメンバーだったらどうします?相手も最悪で、こっちも後ろから刺す奴ばっかりですよ?

今野

それは耐えられません。どっちかを選べと言われたら良いメンバー、最悪のカウンターパートの方がよいです。

大野

そうなんです。最悪かどうかはお客さんとやる以上、わからない。

今野

そうです、それは仕事だから。逆は考えられない。

大野

だから、私は自分の会社を立ち上げたんです。いまやっと心豊かに落ち着いてやれるのが、この小さな城。皆考えていることが同じで、熱い気持ちを持って真剣にやろう、と。こちらサイドの方は、自分の信頼できる仲間と組めるっていうことで改善してきた。次はお客様サイドなんですよ。私が死ぬまでの20年間にしよう思っているのは、公共セクターのサービスデリバリーをやっている以上、このサービスデリバリーをもっと効果的に拡散したいというか、もっと大きく回していくためにプライベートセクターとの関わり方を考えているんです。その関わり方は、現地にあるプライベートセクターを支援することもできるし、自分達が信頼できる現地の人を雇って、NGOや現地法人を作ることもできる。そこで、ODAでやってきた途上国支援のスキームを、自分たち自身の資本で、プライベートセクターの活動を通じて、収益を上げつつ広げるんです。これをどうにかして実現したいんです。これを自分たちのライフワークとしたいんです。ODA事業での自分たちの提言が、民間事業として機能するのかどうかの証明も含めて、切った張ったの世界でやってみよう、と。そうすると、パブリックセクターではグッと待ちながら相手のペースでやった苦労が、プライベートセクターではもっと優秀な人材がついて、どんどん広がる可能性がある。

自分が提案したことを真剣に証明する形を作る。そのためには会社を強くして、ODA事業で収益を上げながら、このプライベートセクター事業も強くする。5-10年のタームのプロジェクトが終わっても、あとは自分達でやれば良いじゃないですか、と言えるくらいのものが1つ2つ私の代にできれば、大きな成果と思っています。もし、そうなったら、次の世代にちゃんとバトンを渡して、自分の持っている社会的な遺伝子を伝えていくことができるなと。これが今の私の夢なんです。

だから、もう少し民間の人の関わりとか、いわゆる外部の人を入れていく。私はODAしかやっていない凝り固まった人間なのですが、そういうところに遺伝的な突然変異をつくって、もっともっと外部との親和性を高めて、民間と公共セクターの活力を使いながら、私が本当に思っている途上国の人のためになる仕事を大々的にできたらいいな、と思っています。

途上国の役人と仕事をする際の、今野さんの悩みはわかりますよ。私もずっと辛い目にもあってきたから。でもお客様サイドはもうしょうがない。待たないといけないし、それでかなりのアウトプットの違いが出てくる。

今野

立場としても待たないといけないし、でもやれないし、でもアウトプットが出ない、というジレンマ。

私がザンビアのプロジェクトで解として感じたのは、一部の地域でやっていた取り組みを、最後の方に、全国に広げたら、ポコポコ人材が出てきたんです。いい人材が。広く浅く。彼らは能力があったのに機会に恵まれていなかったから、場を提供したらとてもやる気になってくれて。あ、これがひとつの解なんだな、と。そういった人材に対して支援を提供していく。

大野

確かにそれは合っていると思う。

広くやるとポコポコでてきてね。やっぱりその人たちを核にしてね。

今野

短期的な成果もありますし、長期的な目で見ても、10-20年のスパンで、そういう人材が管理職や政策決定に関わる立場になってくれれば、良いですよね。それが国造りになるのかな、と。

大野

タンザニアの時に、私のプロジェクトを本省で担当してくれてた人が、こないだ大臣になった。

そうなってくると、あの時やっていたことが、上意下達でやれるようになる。それもひとつですね。副次的な効果としてね。人材が上の方にいってくれるっていうのは。

今野

一方で、ザンビアで苦労した話は、アフリカ各国そうだと思うんですが、日本がやろうとしている技術協力、「君たちが主で我々は陰で働いて」っていう日本人関係者が当たり前に思っていること、これが通じないときに、結構絶望感を感じたんですよ。カウンターパートは我々をコンサルとしてみていて、現場にペースを合わせた動きをすると、ちゃんと仕事をしてないように見られる。あるいは、車だ、ダムだという物質的な話だけで解決しようとしてしまう傾向があることも難しさを感じた。それがあったからこそ、そういう人たちを変えるのではなく、長い目で見て、下から育ってもらう。これはある種の途上国への技術協力に対する日本的なイデオロギーかもしれない。世界の潮流から外れたものかもしれないけど、個人的にはこのベースを大事にしたいなと思っています。

大野

日本の潮流というか、私は日本はそれを通して良いと思っているんです。それは国のモットーというか、ポリシーとして愚直にやりきればいいと思うんです。特に国際機関・欧米系ドナーのコンサルって言うのは、コンサル主体で、全部自分達でドキュメント作って、ポンっと置いていく。その中で日本人はちょっと変わったアプローチをしているんですね。

南スーダンで私がやった時に、相手国の同僚から「日本人は一緒に歩いてくれる」と言われた。それに対して、国際機関や欧米系ドナーのコンサルは全部上から作って、一日関係者からヒアリングして終わって、アウトプットだけ残していく。でも、私達はずーっと一緒にやったんです。一緒に歩いたんですけど、じゃあ、南スーダンの支援先の彼らがアウトプットを書けたかと言うと、彼らは書けないです。でも歩いた実感、彼らは書けないけど、彼らにコメントを求めて、それを同じ部屋に座って何回も一緒にやりながらやっている実感と、国際機関・欧米系ドナーのコンサルタントが綺麗な英語で書いてポンっと置いていく実感は違うんです。ダムも車もあるかもしれないけど、南スーダンでは、その価値をわかってくれました。最初は完全にネガティブな方にとられましたけど。

大野

でも、今野さんもこの2-3年の内に、いろんなことを大分整理されましたね。

今野

そうですね。まだモヤモヤしてますけど、少しずつ整理できてきたかもしれません。

本日は、いろいろなお話をお伺いさせていただき、ありがとうございました。

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大野 康雄

大野 康雄

投稿者プロフィール

青年海外協力隊(稲作)、JICAジュニア専門員、JICA業務調整員を経て、アイ・シー・ネット株式会社にて執行役員、事業部長、経営管理部長を歴任。2011年2月、株式会社JINを設立。岡山大学農学部卒業、米国コーネル大学大学院国際農業と農村開発コース修了。

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