• 2016/2/16

【第1回】東日本大震災から5年。プロボノ運営を続けてきたプロジェクト結の発足から今日に至る活動の原動力を振り返る。

2011年3月11日、東日本大震災発生。その直後から被災地の支援活動を始めた長尾さん、中川さんは「まちごと」というプロジェクトを経て、プロジェクト結を始動しました。それから4年強の2015年8月、プロジェクト結の主要活動のひとつであった「日常支援ボランティア」の受け入れを、148期を最後として休止。開始当時から理事として活動に加わっていたスカイライトの和田が、当時の振り返りと休止に至る想いを伺いに長尾(あきら)さん、中川(あや)さんを訪ねました。BizLounge編集部の小川も参加しています。

第1回は、震災直後から結発足までの経緯のお話
震災直後、結の前身「まちごと」プロジェクトの初会合まで
和田
和田

プロジェクト結は、震災時にいきなりNPO的な組織を立ち上げて、それなりに継続する団体になりましたよね。最初に立ち上げた「日常支援ボランティア」という活動が休止したということもあって、どういう風に立ち上がったのかを、あらためて振り返っておきたいと思うんです。

日常支援ボランティアとは、結が行っている被災した石巻の子どもたちの日常的な活動を支援するために1週間程度の期間、現地に滞在して行うボランティア派遣のこと。
長尾
長尾さん

なんだかんだで、5年もやってますからね。

和田

なぜ、プロジェクト結っていうか、この集まりで活動しようと思ったんですか?

中川
中川さん

いちばん声かけが早かった(笑)

和田

声がかかったから?

中川

考える前にもう声がかかってたような気がする。何かやらなきゃねって言ってて、何かやれることがあるなら集まって話しましょうって雰囲気になったんだよ、Twitterで。Twitterだよね?

長尾

Twitterだね。「まちごと」ってハッシュタグで。

中川

それで集まったのは13日だった。13日までわたしはひとりぼっちで過ごしていて、やっとみんなに会えるって感じだったね。やっと人に会えるって感じだった。ひとりってすごく寂しいことだなって認識してた。

しかも、3月11日から12日は、停電が何だとか、節電しろとか、いろんな情報が飛び交ってて、家の中だけど、すごく寒い中で、部屋を真っ暗にして、パソコンと携帯だけでTwitterをやり続けてた。

長尾

ねぇ、ものを知らないっていうのは恐ろしいことだよね。

中川

どんどんどんどん気が滅入っていって、「ひとりぼっちはやだなぁ」ってすごく思ってたのを覚えてる。

小川
小川

たしかに、震災当時、結構Twitterが使われてましたね。

中川

Twitterは落ちなかったから、使ってたんですよね。情報を異常にリツイートして、周りに迷惑をかけたりしたような気もする。

で、近所で自転車を買って、自転車で(集まりのあった)六本木まで行ったんだよね。

小川

どこからですか?

中川

ここから(笑)

この対談は、下北沢にある結のオフィスで収録しました。
中川

でも、みんなに会えたこととか、何かできるってことは、すごいホッとした覚えがある。

有事でのネットワークの力
和田

それ以降、「まちごと」のみんなはすごく動いてましたね。2、3日でいろんなところに行ったり、関係者集めたりして。

長尾

行きましたね。

小川

いてもたってもいられなくて、時間もあるから何かを始めなきゃって思ってやられてた感じなんですか?

長尾

いや、もう、次から次へとそういう話が来てた。要は、つなげられる人だって認識が各方面に情報として渡っていて、「長尾に言えばなんとかなるっぽいよ」って話になってた。

中川

震災前からあった「あたらしい新しい公共」とかのネットワークでつながってた人たちが、「おまえら震災関係で東京の方で何かやってるらしいな」って感じに情報が動き始めてたんだよね。

「新しい公共」とは、公共サービスを行政だけが担うのではなく、地域の市民や企業、NPOが主体となって提供していくという考え方。震災時に政権を担っていた民主党政権下で、国家戦略の柱として取り上げられ、多くの取り組みが行われていた。これに合わせ「あたらしい新しい公共」という市民ネットワークができつつあり、中川さんが指摘しているのはこちらのこと。
中川

だから、動いている人たちのネットワークはどんどん強くなってたよね。

長尾

動いていることが噂になって、さらにいろいろ声がかかってっていう。

中川

ネット上で発信もしてたし。

あのころはいまより、Twitterってもっと力あったよね。

長尾

いまは、有事じゃないからね。みんな困ってないし。

和田

Twitter見て来ましたって人、いっぱいいましたね。

中川

いた、いた、いた。

小川

じゃあ、Twitterが発信のメディアになってて、2人が動いてるっていうのに気づく人が多かった?

長尾

大きかったと思います、それ。

まちごとから子ども支援へ
中川

「大人たちがあまりに忙しくて子どもたちが避難所で放置されてるから、おもちゃが欲しい」って話があって、子どもの方にフォーカスした方がいいんじゃないかって話になったね。

長尾

そう、それで、ぼくはもともとバンダイで働いていたことがあったから、日本玩具協会の会長を務めていたバンダイの高須前社長にお願いしたんだよ。日本玩具協会から40トン、Twitterでボランティアの仕分けを集めて、お台場のバンダイの倉庫で仕分けしてたとこに、ハコが来たんだ。

ハコさんこと谷藤さんは当時学生で、2011年の夏から3月まで大学を休学して現地の専任スタッフになってくれた方
小川

「まちごと」って、まちごと引っ越しをしようってことですよね?

なんで、子ども支援に変わったんですか?

長尾

当初、長野県知事や福島県庁、経団連と経済同友会に働きかけたけど、なしのつぶてだったしね。

中川

受け入れる側も出る側もあんまり反応がよくなかった。

長尾

それどころじゃねーよって感じだったし。

和田

自治体とかで受け入れますよって声がどんどん上がり始めたし。

やっぱり現地の情報は現地の公共団体じゃないと捉えられないという限界も感じて、子ども支援なら出来るんじゃないかという話になった。特に、放課後支援ってとこでニーズがあるんじゃないかって現地に行って確認しよう、と。

中川

そうだね。あきらくんとかわたしが教育に強いというのもあったから。

和田

方針変えたのって、最初の10日くらいのことでしたよね。決断が早かった。

石巻に行ったときの衝撃
和田

それで、最初に向こうに行ったのっていつでしたっけ?

中川

4月の3日と4日かな。

そのときの様子は長尾さんのブログ でご覧になれます。
和田

この4月の最初に行って帰ってきた3人が、ズーンってしてたような記憶があって。

中川

ズーンってしてたよね。ズーンとした。すっごい落ち込んだ。

和田

ズーンとして、これは何かやらなきゃって、完全に覚悟が決まって帰ってきたみたいな雰囲気がしてたんです。

中川

いや、そもそも何かやるつもりで行ってたんだけど、何ができるんだろう?って方だったかもしれないね。

和田

何もできないよ、みたいな雰囲気だったかもしれない。

中川

いちばんショックだったのは、あまりに世界が違っていたから。あれだけ荒れていた状況とか何もかもが失われたみたいな状況の中から東京に戻ってきたら、東京では普通に生活ができる。その感覚にものすごく動揺した。

小川

このときに、おもちゃを運んだんですか?

長尾

おもちゃは違うんです。この一週間くらい前に行き先がなくて、山形県の鶴岡市に送って、別ルートで届けてもらいました。

中川

3日、4日のときに、「おもちゃとか本とかいりますか?」って話も現地の人たちに聞いてきたんだと思います。

小川

なるほど。

この訪問が、ボランティアを連れて行こうみたいなアイデアのもとになってたりするんですか?

中川

このときは完全に調査ですね。

長尾

とりあえず、見に行こうっていって。

次は、4月16日、17日に行ってる。その次が、4月25日、26日。

このときの様子も長尾さんのブログで
小川

この辺は、つながりある人に声かけてみんなで行く感じですか?

長尾

行ける人が行くみたいな感じだったね。

小川

行ける人が行くが変わってきたのっていつぐらいからなんでしょう?

長尾

ボランティアを受け入れる仕組みができてからだから、

えっと、5月30日から6月6日のトライアルの第1期くらいからだったかな。

震災直後に集まった「まちごと」は現状に即して10日あまりで方針を変え、それから2ヶ月ほどで、プロジェクト結としての活動を固めていきました。次回は、日常支援ボランティア派遣活動の様子から活動休止までの話です。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
長尾 彰

長尾 彰

投稿者プロフィール

日本福祉大学社会福祉学部社会福祉学科(心理臨床カウンセリングコース)卒業後、東京学芸大学大学院にて野外教育学を研究。企業、団体、教育現場など、10年以上にわたって500回を超えるチームビルディングプログラムを実施。 文部科学省「熟議」に、初の民間ファシリテーターとして登用される。株式会社ナガオ考務店代表。NPO法人エデュケーショナル・フューチャーセンター代表理事。プロジェクト結 理事長。

関連記事

ページ上部へ戻る