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『ネクスト・マーケット [増補改訂版]』を読み解く

第3回 BOP市場のイノベーション

貧困を緩和するためのフレームワーク

今回から、PART2「知られざる巨大市場」を取り上げる。全6章、130ページからなるこのPART2は、BOPビジネスの理論的枠組みを提供する重要なパートだ。もし、本書全体を通読する時間が無ければ、このPART2だけを読むことをおすすめしたい。理論といっても、PART4で詳述されるケース・スタディが随所に紹介されているので、具体的なイメージを持って読み進めることができる。はじめに全体の構成を概観しよう。

本稿では、第1章と第2章をとりあげ、BOP市場におけるイノベーションについて解説したい。

思い込みを取り払う

第1章「経済ピラミッドの底辺に眠る巨大市場」では、BOP市場の可能性について整理した上で、BOP市場の特性を列挙している。私たちがBOPビジネスに対して最初に抱くのは、1日2ドルで生活する貧困層が、多国籍企業の顧客になれるはずがない」という懐疑的な見方ではないだろうか。

例えば、貧困層には金銭的な余裕が無く、自分たちの商品やサービスのターゲット顧客にはなりえないと思い込んでいないだろうか? あるいは、技術革新はつねに先進国で起こり、その対価を払えるのは先進国市場の消費者だけだと思い込んでいないだろうか?(本書P75、表1 以下同様)

BOP市場に取組む際には、まずこうした思い込みを取り払うことから始めなくてはならない。そのためのヒントが「BOP市場の特性」(P76)である。見出しを中心に列挙してみよう。

例えば、「BOP市場の人々はお金がある」とはどういう意味か?貧困層は、途上国内といえども物価の高い環境で生活している傾向が非常に強い(P78)。食料や日用品のコストは、貧民街では通常の5倍から25倍にもなる。地元の貸金業者からお金を借りるために、600%~1000%もの法外な金利を払っていることも珍しくない。これは、地方での独占状態や、モノや情報の慢性的な不足状態、不十分な販売網、昔ながらの中間搾取業者の存在などが原因だ。つまり「貧困層はお金がない」のではなく、彼らにはお金があり、潜在的な購買力があるにもかかわらず、こうした「貧困ペナルティ」によって阻害されてしまっているのだ。もし、大企業が適正な価格で彼らが望む商品やサービスを提供することができれば、喜んで受け入れられるだろう。

これらの「BOP市場の特性」については本書を読んでいただくとして、ここから読み取れるのは、私たちが「貧困層」に対して抱くイメージとは程遠い「顧客」の姿だ。BOP理論の真髄はここにある。つまり、BOPの人々を「無知で弱々しい施しの対象」と見るのではなく、特殊な状況に置かれた「賢くて活気のある消費者」と捉えることで、彼らが必要とするまったく新しい商品やサービスを一から考えることができる。それをビジネスとして採算のとれる形で提供できれば、持続的な変化を起こすことができる。

イノベーションを起こす

第2章「BOP市場におけるイノベーション」では、BOP市場でイノベーションを起こすために必要な12の原則を紹介している。BOP市場では、先進国向けに価格設定・開発された商品やサービスをそのまま提供しても通用しない。こうしたものはBOP市場の潜在顧客の手に届く価格ではないし、そもそもデザインや機能がBOPのニーズに適していないことが多い。そうではなく、BOPの実情を反映し、BOP市場向けに新たなイノベーションを起こすことが必要だ。そのためには、以下に挙げる12のイノベーションの原則が参考になるだろう。

  1. コストパフォーマンスを劇的に向上させる(P103)
  2. 最新の技術を活用して複合型で解決する(P106)
  3. 規模の拡大を前提にする(P109)
  4. 環境資源を浪費しない(P110)
  5. 求められる機能を一から考える(P112)
  6. 提供するプロセスを革新する(P116)
  7. 現地での作業を単純化する(P119)
  8. 顧客の教育を工夫する(P122)
  9. 劣悪な環境にも適応させる(P124)
  10. 消費者特性に合うユーザー・インターフェースを設計する(P126)
  11. 貧困層にアプローチする手段を構築する(P127)
  12. これまでの常識を捨てる(P129)

それぞれの原則は、具体的な事例とともに説明されているので、理解を深めていただくことができると思う。特にここでご紹介しておきたいのは、PART4のケース・スタディでも紹介されている、アラビンド・アイ・ケア・システム(P435)だ。

世界最大の眼科治療組織

「ドクター・V」と呼ばれ広く敬愛されているG・ベンカタスワミー医師は、1976年に個人診療所を開設した。彼が目指したのは、白内障による失明を一掃することだった。適切な治療を施せば失明を回避することができるのに、医療サービスが無いために多くの貧困層が苦しんでいたのである。今ではこの診療所は大きく成長し、2007~08会計年度にはおよそ240万人の外来患者を検査し、28万5千例を超える手術を行う世界最大の眼科治療組織、アラビンド・アイ・ケア・システムとなった。しかも、ここでは患者の6割が無償、残りの4割が50~300ドルほどの金額しか支払っていないにもかかわらず、厳しい財務管理によって採算が保たれている。

ドクター・Vが手本としたのは、ハンバーガーチェーンのマクドナルドだという。すなわち、プロセスを標準化し、マニュアル化することで、安くて質のよい医療サービスを大きく展開することを目指した。その結果、検査や治療は高度に分業化され、一人の医師は年間2,600例もの手術を行っている。全国平均が400例程度であることを考えると、きわめて効率的だ。この医療サービスは地域に密着した検査センター、最新の医療機器、移動検診車や通信ネットワーク、そして自前で開発・生産する原価5ドル以下の眼内レンズなどによって支えられている。

詳しくは本書の事例をお読みいただきたいが、「コストパフォーマンスを劇的に向上させる」、「規模の拡大を前提にする」、「求められる機能を一から考える」、「提供するプロセスを革新する」、「劣悪な環境にも適応させる」など、上記の12のイノベーションの原則がいくつも取り入れられていることがお分かりいただけると思う。

ちなみに、アラビンド・アイ・ケア・システムとドクター・Vについては、アキュメン・ファンドの創設者でCEOのジャクリーン・ノヴォグラッツ氏の著作『ブルー・セーター 引き裂かれた世界をつなぐ起業家たちの物語』(2010年、英治出版)で生き生きと紹介されている(P316~P321)。この本は、BOP市場の特性とイノベーションを考える上で大変参考になるし、BOPビジネスに取り組む著者の理想と現実、成功と挫折の物語としても素晴らしく、大きく心を揺さぶられる。ぜひ併せてお読みいただければと思う。

次回予告

次回は、第3章から第6章までを取り上げ、BOP市場に取り組む意義と、それを促す環境について解説したい。

筆者について

矢野陽一朗

慶應義塾大学経済学部卒業。1992年にアンダーセン・コンサルティング(現・アクセンチュア)に入社し、マネジャーとして活躍。2000年、同志とともにスカイライト コンサルティングを設立し取締役に就任、現在に至る。専門はテクノロジー分野における新規事業の調査、企画、立案および立ち上げ支援。情報通信業、金融・保険業、流通業などでのコンサルティング実績多数。

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